少年兵救助碑
三本松 メガネのカワイ 店長ブログです。
7月の終わりに鳴門市の島田島へ蓮の花を撮りに行きました。
車をUターンさせるために淡路島も見えるような場所まで行きましたら・・・
「少年兵救助碑」が目に入り・・・
ひっそりとこのようなものがありました。
広島に原爆が投下される4日前の出来事です。
※クリックで拡大
以下は徳島新聞の記事からです。
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1945年8月2日、宝塚海軍航空隊(兵庫県宝塚市)の予科練習生ら109人を乗せた
木造船・住吉丸が、鳴門市の撫養港を出港。対岸の淡路島・阿那賀港(南あわじ市)
に向かった。本土決戦に備え、淡路の秘密要塞に砲台を造るためだったとされる。
正午過ぎ、鳴門市島田島の沖合2キロに差し掛かったところ、米軍機2機が襲来。
爆撃によって船は大破し、あっという間に56人が亡くなった。さらに海に飛び込んだ
生存者も急流に翻弄され、なすすべもなく漂流した。
これを知った地元の粟田、北泊、大島田、室の漁師たちが次々に海に飛び込み、救助
に向かう。自らも敵機に襲われる危険もある中での、勇気ある行動である。漁師らは必
死の覚悟で17人を助け出すことができたものの、合わせて82人の若い命が奪われて
しまった。最も若い犠牲者は14歳の少年だった。この悲劇は軍の機密保護のために伏
せられ、長年知られることがなかったという。
現場近くの鳴門市瀬戸町大島田の田尻浜に1991年、「予科練習生救助顕彰碑」が建
てられた。恒久平和を祈念し、漁師たちの勇敢な行動を顕彰する碑文が刻まれている。
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2日続けて重たい話題になってしまいましたので、明日は明るい話題にしますね。
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