東かがわ市の秘境・五名地区の分校跡 を訪ねる
すっかり五名(ごみょう)ファンになった三本松 メガネのカワイ 店長ブログです。
五名は東かがわ市でも最も山深い地域で、徳島県阿波市、大窪寺のある
さぬき市多和などに隣接しています。
まずは五名地区の子供達も通う 福栄小学校前のSL・山ざと号 を撮影。
近くで見たのは初めてです。「川崎車両 昭和15年」となっていました。
五名ダムの水位もだいぶ下がっていました。
五名ダムについてのブログはコチラ→ ★、 ★←クリック
着きました。比較的新しい建物ですが・・・
五名小学校 鈴竹分校 です。
鈴竹で「すうたけ」と読みます。
本校の五名小学校は平成17年に122年の歴史を閉じました。
そこで気になるのは、
「この鈴竹分校がいつ建てられ、いつまで使われていたのか?」
です。ちょうど、隣で畑仕事をされていた おばあ様に取材(笑)してみました。
おばあ様「そうやな~。出来たんは40年くらい前かな…。いや、50年になるか…ウチの
息子が…」
平成に入っても、数人ですが、児童、園児が来ていたようです。
でも、建物を見る限り50年はないな… なんて思いながら。
おばあ様「その前は、その橋の向こうにあったんや。それで、建てかえの時にはもう子供
が少なくなっとったから…」と不要論も出ていたようです。
なるほど、それで新しいのか。
気になって、市役所にある「白鳥町史」で調べましたら、
明治15年 五名小学校設立
同 18年 台風のため倒伏
鈴竹簡易小学校、長野簡易小学校設立
同 20年 鈴竹小学校新築
同 41年 長野小学校新築
昭和 4年 五名小学校と合併し、鈴竹分校、長野分校となる
昭和29年 鈴竹、長野幼稚園新設
昭和30年 白鳥村、福栄村、五名村が合併し白鳥町となる
昭和42年 長野分校改築
昭和57年 鈴竹分校新築
昭和57年ということは今年で築28年。そりゃ綺麗なはずです。
記念碑に「平成4年11月」とあるので、少なくともそれまでは学校、幼稚園として使用されて
いたのは間違いありません。
白い建物がある場所が明治40年~昭和57年まで鈴竹分校の校舎があった場所です。
その時、グラウンドに人影が!!
あの人も廃校マニアか??
いえ、嫌々付いて来ていたウチの奥さんです。ブログに載せるといつも怒られます
現在は地域の公民館のような役割で使用されているようです。
…というわけで鈴竹分校を後にし、次の目的地・五名小学校長野分校へ向かいます。
五名らしい民家
五名トンネルを越え
着きました。
平成13年、国道377号線に五名トンネルが開通したので、ここまで短時間で着きましたが、
それまでは山を越えてようやく辿り着く、全く別の地域であったのでしょう。
五名小学校長野分校 です。
先ほどの白鳥町史によると…
明治41年に長野小学校として新築され、昭和41年に改築されています。
今回は少しだけ五名の歴史に触れてみました。
五名みぞおちの滝編もぜひご覧下さい。→ ★
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