三本松高校関連の記事まとめ
いつもありがとうございます。
本日、木曜日は誠に勝手ながら定休日とさせていただいております。
三本松高校がベスト8という快挙を成し遂げた2017夏の高校野球が閉幕しました。
今日のブログは大会期間中、目についた記事をまとめてみました。
ほとんど自分のためのクリップですので、興味のある記事だけお読みください。
【ニッカン】中日荒木が高校野球で感激した三本松・多田の3犠打
https://www.nikkansports.com/baseball/column/bankisha/news/1875102.html
強さは高校生からでも学び取ることができる。18日、ナゴヤドームのグラウンドに現れ
た中日荒木雅博内野手(39)は興奮気味に話しかけてきた。短くバットを持つ打撃フォ
ームをまねしながら「見た!? 三本松の2番バッター。俺、ああいう風になりたい」。
大の高校野球好きでもある荒木が、心打たれた選手がいた。
今夏の甲子園、公立校唯一の8強入りとなった三本松(香川)の2番打者・多田祐汰
二塁手(3年)だった。3回戦の二松学舎大付戦(東東京)で1打席目から3打席連続で
犠打を決め、打線をつなぐことを貫いた。3個目の犠打は貴重な先制点にもつながった。
今季2000安打の大記録を達成したベテランは「チームに徹する気持ちがある。彼は
チームのために3つバントをしたんだから。最後にはセンター前をちゃんと打ってつない
だ。利己的じゃチームは勝てないということ。自分のためじゃダメなんだよね」。決して派
手ではない。準々決勝で敗退してしまったが、勝利のためには欠かさないピースだ。
プロ野球歴代10位の通算犠打記録を持つ中日の荒木選手が多田君のプレーに
注目しました。二松学舎戦の神業スリーバント、私も忘れません
その多田君、スポニチが選ぶベストナインに選出されました。
すごい
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【日刊】「高校で野球は辞めます」三本松・盛田の苦悩と決意
https://www.nikkansports.com/baseball/column/techo/news/1875668.html
「高校で野球は辞めます。本当は、大学、プロ野球を目指したかった」。
今夏の甲子園でベスト8に進出した三本松(香川)の一塁手・盛田海心(3年)は決意を胸
に挑んでいた。
高校1年の冬、体育の授業中にサッカーボールを蹴ろうとした時、右膝が「ガクッ」と来た。
病院に行くと「よくこんな膝でやってましたね」と言われた。膝蓋(しつがい)骨の脱臼。元々
膝は良くなかったが、オーバーワークがたたった。半月板損傷手術を受け、リハビリを続け
復帰したのは今年の4月。三塁だった守備位置は一塁になった。スクワットは今も深くは沈
めない。正座も出来ず、右膝を折っていたスライディングは、左膝に変えた。
野球を辞めようと思ったこともある。選手兼マネジャーとしてノックを打ったり、チームを支え
る道もあるのでは、と。でも、小林明弘部長(44)と日下広太監督(33)は復帰を待ってくれ
ていた。「3年生の夏にゆっくり帰ってくればいいから」。両親も後押ししてくれた。
感謝の気持ちとともに、聖地に来た。
20日に行われた東海大菅生(西東京)との準々決勝。1-9で敗れたが、盛田は4打数2
安打と爪痕を残した。「周りに支えられてここまでやってきた。地域の人に役に立てる仕事を
したい。(甲子園は)自分の力を最大限出させてくれる場所でした」。自分の野球人生を支え
てくれた人へ、応援してくれた人へ、今度は恩返しする番だ。
春の香川大会は背番号19。代打での出場でした。
ウチの中学生も体育の授業中にサッカーで(笑)大怪我をして、盛田君と同じ病院で同時
期にリハビリをしていたので、特に応援していました。ともに最後の夏に間に合って本当に
よかったです。
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【四国新聞】友情の演奏 三木・石田高吹奏楽部が助っ人
https://www.shikoku-np.co.jp/sports/local/20170821000195
アルプススタンドの大応援団を盛り上げたブラスバンドには、三木、石田両高の吹奏楽部
の生徒らが助っ人として参加した。20日の準々決勝では、OB・OGも加えた総勢約70人が
駆けつけ、力強い演奏をグラウンドに響かせた。
三本松の吹奏楽部は30人ほどと少数。広い甲子園での演奏に向けて部員たちが友人
に協力を依頼したところ、三木高吹奏楽部の約30人と、石田高の有志数人が応援を買っ
て出た。
合同練習は大会前の一度だけだったが、試合ではそろいの紺色のTシャツに身を包み、
「ぶっつけ本番」を感じさせない堂々とした演奏を披露した。部長の平山舞香さん(16)は
「みんなでここまで来られて良かった。野球部には来年こそ優勝を目指して頑張ってほし
い」と話していた。
三木高校、石田高校の皆さん、応援ありがとうございます。
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【デイリー】背番号15の三本松・森本塁 名付け親の亡き祖父に贈る甲子園の土
https://www.daily.co.jp/opinion-d/2017/08/22/0010482115.shtml
「塁」の名前は、母方の祖父・山川幸雄さんがつけてくれた。幸雄さんは興南(沖縄)の
左腕エースとして1966年の夏の甲子園に出場。竜ケ崎一(茨城)との初戦で死球を受
けて左腕を骨折し、無念の交代を余儀なくされた。
そのときの甲子園の土を、森本は祖母から譲り受けている。出場当時はまだ本土復
帰前だったため、沖縄には土を持って帰れなかった。幸雄さんはユニホームに付着して
いたわずかな土を集め、思い出として残していたという。(つづきはリンク先へ)
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【デイリー】アルプス席で「たくさんの出会い」三本松OBが後輩に感謝
https://www.daily.co.jp/opinion-d/2017/08/19/0010476056.shtml
ベンチ入り全員が香川県出身者。おらが町の誇りとして、アルプス席には、地元からバス
30台、約2000人の応援団が集結した。その中に東京から初戦に続いて応援に駆けつ
けたOBの姿があった。1984年の甲子園初出場時、2年生で背番号13を付けてベンチ
入りした山瀬薫さん(50)=会社員=だ。控え捕手として「行進だけでした」と33年前を振
り返った。
アルプス席での応援は今年が初めて。93年、後輩たちが2度目の甲子園出場を果たし
たときは内野席から観戦した。アルプス席に行かなかったのは「ひがみもあった。(甲子園
への夢を)捨て切れないというときでした」と、後輩たちを素直に祝福できない自分がいた
という。
正捕手となった高校3年の夏、香川県大会決勝で敗れ悔し涙を流した。地元の香川大学
で野球を続け、三本松野球を継承するように厳しい練習、試合ではバントやエンドラン、盗
塁を駆使する“スモールベースボール”で四国一になったこともある。しかし、高校時代、
最高学年で夢が破れた悔しさは、社会人4年目の93年になっても捨てきることができなか
ったのだ。
それが今は違う。「50歳になって価値観も変わってくる。後輩たちが頑張ってくれた。
甲子園に来たら30数年ぶりにチームメートに会うこともできた。高校時代は仲良くなかった
けど、大人になって会うと違う。そういうのをつなげてくれた後輩たちに感謝したい」と8強入
りを喜んだ。
山瀬さん、もちろん覚えています。とてもいいキャッチャーでした。
小学生の時、球場で見た志度商業との決勝戦は今でも悔しいです。
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【朝日】イップスに悩み、強くなった ベンチ横で見た最後の試合
http://www.asahi.com/articles/ASK8N433JK8NPTQP01H.html
五回終了後のグラウンド整備が終わり、マウンドへ向かった。投げるわけじゃない。ボール
ボーイとしてロージンバッグを取り換えるだけ。ちょっとプレートを踏んでみた。軟らかくて、
高級そうだ。バックネット裏には、すごい数の観客。たった数秒だけど、マウンドから見える
景色を3試合で体感できた。2年間、もがき苦しんだ分のご褒美かな、と思った。
1年の夏、横手投げの右腕として背番号18をもらった。日下監督は「(現エースの)佐藤と
二枚看板でいける」って思ってくれていたみたい。捕手の渡辺も「俺らの代のエースは、佐藤
じゃなくて三木かも」と期待してくれた。
大会後の紅白戦で、すべてが狂った。
死球、死球、死球……。6人の先輩にぶつけてしまった。怒られはしなかった。ただただ、
申し訳なかった。
次の練習試合、思いもしない変化があった。130キロ近くあった直球の球威がガクンと落
ちていた。渡辺からは「20キロくらい落ちた。腕が振れていない」と言われた。ブルペンでは
普通に投げられるのに、打者に向かうと、そわそわする。投球フォームはどんどん崩れてい
った。(つづきはリンク先へ)
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【朝日】海や街で気分転換、監督の信頼あればこそ
http://www.asahi.com/articles/ASK8L4G9LK8LPTIL00N.html
選手一人ひとりが考えるスタイルは、グラウンドの外でも変わらない。
甲子園入りしてから、宿舎で夕食とミーティングを済ませると、その後は自由に過ごしている。
門限は午後9時半ごろまでだが、外出の制限はない。
初戦の下関国際(山口)戦で甲子園初勝利を挙げた翌日は、一部の選手たちは「頭を切りか
えたい」と神戸・須磨海岸で休息を取った。レジャー施設で気分転換をはかる選手もいる。
日下監督は「慣れないホテル暮らし。ベストなプレーのため、ストレスを減らしたい」と選手を
信頼する。
神戸の街にショッピングに出かけたという渡辺君は、「自由時間に気分転換ができ、試合へ
の集中力も上がった」と話す。
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【朝日】選手の体、OBがケア
http://www.asahi.com/articles/ASK8M2GQ8K8MPLXB001.html
「午前4時起床。午前5時15分出発」。
選手たちがちょっとざわめいた。そう。20日は第1試合。朝が早いんだ。遊撃手の黒田一成
君(3年)は「めっちゃ早いやん。目あいてないわ」。すかさず捕手の吉野弘人君(3年)が
「お前のとこに飛んできたら終わりやな」。黒田君は初戦で2失策。みんな笑ってた。
ミーティングが終わると、数人の選手が宿舎の一室に。室内では、三本松野球部OBで理学
療法士の森安昭斗(あきと)さん(26)が、選手にマッサージを施していた。森安さんは、野球
部のトレーナーも務めていて、東かがわ市内の病院で働きながら、選手たちの体をケアして
いる。三本松が関西入りしてからは仕事の合間をぬって応援に駆けつけ、選手の疲れを取る
ため、宿舎でツボを押したり、筋肉をほぐしたりしている。
森安さんは「僕らの時代はトレーナーはいなかった。後輩には悔いが残らないように甲子園
で活躍して欲しいですね」と話す。87球で完投したエースの佐藤圭悟君(3年)は「急激に疲
労回復してます!」と気持ちよさそうに顔をゆがめていた。
またセンバツ目指して頑張ってください
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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